通り雨
ラテーヌ高原に雨が降る。
その水の恵みで、サルタバルタでは考えられないほどの背の高い草が生える。
ミスラ族の女は骨のような物質が作る大きな建物で雨宿りをしながらそんな恵みの水滴
を滴り落とす空を見上げた。予想外の通り雨らしい雨に女は困り果てる。
隣には、このラテーヌ高原を渡る時に雨に降られて女と同じ位に濡れてしまった、ヒュ
ームの男。彼もまた予想外の通り雨に降られて困っているらしい。
彼はやれやれとため息をつきながら肩まである金色の髪をうっとおしそうに顔をしかめ
ながらかき上げた。
男はチラリとミスラ族の女を見るが、またいつ止むともしれない雨空を見上げた。
「おい、お前」
「あたしですか」
「そうだ。何か羽織れよ。風邪引くぞ」
あ。
女は男が言わんとしている事を読み取り、慌てて何か羽織ろうと思ったが、いい感じの
ものは無かった。
言われて初めて意識をすると、なんともまぁ恥ずかしいもので、そそくさと男から離れ
て体を丸める形で座った。
男はそれ以上何も言わず、こちらにも来ず、離れた場所で建物にもたれて座った。
男は吟遊詩人らしく、鞄から弦楽器を取り出してポロロンと弦をつまはじき、弦の様子
を伺う。
（あ、あたしと同じ吟遊詩人だ。綺麗な楽器だぁ…。見た事無いけど、凄い…！）
弦の調整を終えた後、男は歌い始めた。
それは何かを褒め称える歌だった。
めでたし、海の星
いと優しき神の御母
かくて、常に乙女なる
祝福された天の扉
女は離れた所で膝小僧に自分の顎を乗せて、女自身がまだ聞いた事の無い歌を美しく歌
い上げるその歌声を聴く。
心地のいい声と優しい音色に、急に降られた雨でくすんでいた心も軽くなる。
（凄いなぁ…。こんなにも心地のいい歌声と歌は初めて聞いたよ）
１曲を歌い終え、男はふう、と息をついて空を見上げた。
少しの間何かを考え、男はまた歌い始める。
そうやって２曲、３曲と歌を重ねるうちに時間は経ち、サラサラと降っていた雨も小降
りとなり、空に雲の切れ間が見え始めた。
その雲の切れ間から日の光が帯になって降り注ぐ。
光達が雲の隙間から降り注ぐ姿はとても美しく、さっき聞いた歌にあった“祝福された
天の扉”のように見えた。
「ウワァ…。本当に、天の扉みたい…！」
女が思わず声を上げた。
それを聞いた男は口元をほころばせる。
「ジーン、おまたせしましたよー！いやいや、かなり手間取っちゃった！」
「おせぇ！」
どこからか必死になった顔で走ってきたタルタル族の女に男が笑いながら声を掛ける。
「しょーがないよー！こっちだってねぇ、都合ってものがあるんだから！はぁ、本当にこ
れだけで疲れた、ほら、仲間に入って、入って！」
男はゆっくりと立ち上がり、うんと伸びをした。
そのタルタル族の女の後ろに彼の仲間らしい人が４人歩いてくる。
「んじゃ、ちょいとお待ちを」
吟遊詩人がまたポロロロと弦を鳴らした。今度は歌声が無い。
無いが、とても心を安らかにして癒してくれる曲調の曲だった。この曲は女も弾けるが、
ここまで上手く旋律を奏でる事はできない。
タルタル族の女がペタンと座ったのを見て、男は口元を上げる。
「なー、ジーン、カナナが休んでいる間に何か一曲歌え。幸先のいい曲な」
背が高く赤い髪を逆立てたエルヴァーンがニヤニヤしながら男に言った。
男は少し立ち位置をずらし、また弦楽器をポロロロと鳴らす。
「それでは、歌いましょうかね」
男が力強く弦楽器をかき鳴らし、雄々しい歌声で凱旋の時に歌うその歌を歌い始める。
エルヴァーンの男はそれをニヤニヤとしながら聞いていた。
男が歌い終えると、エルヴァーンの男が
「ヨッシャ――！気合が入ったぞ！行くか！！」
と気合を入れるように叫ぶ。タルタル族の女が立ち上がり、無言でうなずいた後何かの魔
法呪文を唱え始めた。
男は女をチラリと見て笑いかけ、すっかりと晴れた空を見上げる。
「頑張りな、同士」
男の声に女は驚く。女が男に声を掛ける前に、男は女に手を軽く振った後で移動魔法の
発動と共にこの場から消えた。
女は思いついたように自分の鞄の中から弦楽器を取り出し、さっき男が奏でてくれた音
階を思い出しながら、その空を称えたと感じ取って感動した一部だけを奏でる。
そうやってちょっと歌い終えた後、女は移動魔法の発動と共に消えた男と同じように空
を見上げた。
「あたしもいつか…、ああいう風に歌えるようになりたいなぁ…！」
空は、青く美しい。それを称える虹も美しくかかる。
女はもう１曲、この晴れ空に似合うと思う曲を男を思い浮かべながら丁寧に歌い上げた。
■ イムヌス "Ave, maris stella" 「アヴェ・マリス・ステラ（めでたし、海の星）」
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