シスター






 …ガー、ランガー。

「またそんな所で寝て!風邪を引くってば!明日から出かけるんでしょ!」

 仕事で疲れてうたた寝をしていたランガーはふと目を覚ます。

 そこはソファで、自分の体には毛布が掛かっていた。

 夕餉の香りが鼻をくすぐり、ランガーはその夕餉の香りにノソリと体を起こす。

「ご飯、出来たよ」

 2人用のテーブルの上には2人が滅多に食べない食事が並ぶ。

 ランガーはそれを見て驚いた。

「お前、これ…」

「明日からランガーが出て行くもの。…今日くらいは、ね」

 同じヒューム族の女が小さくため息をついて苦笑した。

 ずっとランガーが旅に出るという事で喧嘩をしていたのだ。

「もう出て行く事を決めたんでしょ。今日くらいは笑っていい物を食べたいと思ってね」

 よく見たら、彼女の服も余所行きの服だ。ランガーが1番気に入っていた服だ。

 ランガーはその心遣いを嬉しく思い、テーブルに着いた。

 自分は大きくなって帰ってくるよ。

 強くなって今まで以上にもっと稼げるようになったら、いい土産を買ってこよう。

 どういうものが欲しいの。髪飾りとかいらないかい?

 ランガーは女にそんな事を言いながら、滅多に出ない自分達にとっては高級な肉を食べ

た。

 終始彼女は笑っていた。

 最近怒ってばかりで、眉間の皺も戻らないのではないかと思えるくらいだったのに、今

日はずっと笑っていた。

 よく見ると薄く化粧もしていた。

 ランガーはあまりお金が無いからと滅多に化粧をしない、そんな女の化粧をした顔に照

れてしまう。照れながら肉をナイフで切って口に運ぶ。

 ニコニコと目の前の彼女が笑い、滅多に口に出来ないワインをランガーのグラスへと注

ぐ。ランガーは機嫌よくそのワインを口にする。

「本当に、今日の食事は凄いね」

「まあね」

 食事を食べ終わり、しばらく休んでからランガーは女を抱こうと手を伸ばした。

 それを柔らかく女は拒否をする。

「…どうしてよ」

「お風呂、入れさせてよ。今日はね、木工ギルドから香りのいい木の切れ端を貰ってきた

から、それを浮かばせてあるの」

 その理由じゃ断れないなと思い、ランガーは風呂に入る。その後女も風呂に入った。

 風呂から出てきた女は、真新しいネグリジェに、真新しい下着をつけていた。

「…本当に、どうしたのよ、お前」

「だって、ランガーが旅の途中で思い出す私はこうであって欲しいからね」

 ランガーは嬉しくなって女を抱く。

 ずっと喧嘩をしてきた分、そうやってしてくれた事が嬉しく思えた。許してくれたのだ

と思うと、本当に嬉しく思えるのだ。

 女はずっとランガーの名前を呼んだ。ランガーも女の名前を呼ぶ。

 そうやって、いつものような甘い夜が過ぎた。

 次の日の朝はやはり、いつもランガーが泊まっていった時と同じ食卓だった。

 冷たくて新しいセルビナミルクに、スモークサーモンが挟んであるパン。そしてサラダ。

 本当にいつもの食事だった。

 2人がそれを食べている時も女は笑みを絶やさなかった。

「じゃあ、行ってくる」

 何故か今日のお昼に食べなさいねと同じパンを渡された。

 ランガーは女を見る。

 彼女はやっぱり笑っていた。

「…行ってらっしゃい」

 いつもの、ランガーがこの家に泊まった後で仕事に出る、それと同じ笑顔で送り出され

た。ランガーが歩き始め、後ろを振り向いてもやはり笑っていて手を振っている。

「…なぁんだ。ここまで笑ってくれるのなら、あんなに怒らなくてもよかったのにさ」

 また、帰ってくる。

 そんな事を言うと、いつものようにここには帰らないつもりなのかとふくれっ面で言わ

れそうなのでそれも口にしない。

 帰ってくるのが当たり前の家だから、ここにあるのが当たり前の家だから、ランガーは

当たり前のように出て行った。

 …そして、次にランガーが帰ってきた時はその家が引き払われ、彼女は居なくなってい

た。次の住人は、彼女の行き先は全く知らないという。

 時期を聞けば、ランガーが旅に出たすぐ後だった。

 ランガーは彼女を探したが、見つからなかった。我を忘れてなりふり構わず探したが、

居なかったのだ。

 そこでやっと、あの最後の夕食が何故豪華だったのか、彼女が彼女なりにあんなにも身

奇麗にしていたのか、判ったような気がした。

 

 あの驚くほど豪華だった夕食が、自分達の最後の晩餐だったのだ。

 

 ランガーは冒険の旅に出ることと引き換えにそれらを失ったのだ。

 それに遅ればせながら気が付いたランガーはただ呆然とするしかなかった。

 

 

『全てを捨てなさい。そうすれば貴方の前に楽園の扉が開くのです』

 

 

 今日も鐘が鳴るサンドリア王国にある教会で、そんな風に説法を説く。

 何故そんな風に全てを捨てなければいけないのだろう。

 ランガーはそう思いながら、足元にある名も無い草を眺めた。

 これからラテーヌ高原を抜けて、サンドリア王国へと向かうのだ。

 ランガーはサンドリア王国に帰る事をためらっていたが、サンドリア王国で結婚式を挙

げるという友人の為に帰らなくてはいけなくなった。

 ―――… 全てを捨てなさい。そうすれば貴方の前に楽園の扉が開くのです。

(全てを失くした先に楽園なんてあるものか!)

 その言葉に吐き気を覚えながら、ランガーは目の前に咲いていた名も無い花を蹴り上げ

た。

 

 

 ガラン、ゴロン、と教会の鐘が鳴る。

「ああ、いつ来ても教会が綺麗だねぇ」

 観光気分で大聖堂へと来たタルタル族の女が顔を輝かせて教会の鐘を見上げた。ランガ

ーはそれを聞いて苦笑する。彼女は友人の友人だ。たまに彼女の顔を見ていた。

 全く知らない顔ではないから、彼女もきっと安心したのだろう。ランガーを見て顔をほ

ころばせた。

「まあなぁ…。毎日せっせと磨いているからな」

 ふとタルタル族の女がクイッとランガーのズボンの裾を引っ張る。

「珍しいね。ヒューム族の修道女もいるんだね」

 ランガーはタルタル族の女の声にゆっくりとそちらの方を見る。

 驚きのあまり、声が出ない。

 修道女は消えたあの女だった。

 彼女は確かにヒューム族の女ながら、サンドリア国教の修道服を着ていた。

 そして冒険者の男女に優しい笑みを浮かべながら言葉を紡いでいたのだ。

 彼らはどうやらここでこれから式を挙げるらしく、男が彼なりの一張羅、女が花嫁の衣

装を見に纏っていた。

 知らない2人だ、きっとランガーの友人の前に挙式を上げるのだろう。

「当たり前のモノほど、身近にありすぎて目に見えないのです。そんな風に身近にありす

ぎて当たり前に思うものほど大事なもので、失った後やっと、あれは大事なものだったの

だと気付くのです」

 男女はそんな彼女の言葉を言葉半分の具合で聞いていた。タルタル族の女が邪魔をしな

い程度で彼らが着くテーブルに近寄り、話が聞こえる近くのテーブルに掛ける。

 ランガーも久しぶりに聞くその声と姿に息を呑みながらそのテーブルに着いた。

 よく見ると、彼女の言葉に耳を傾ける、新郎新婦の友人らしき冒険者達もまた、テーブ

ルについていた。

「でもそれは、人間関係も同じですよ。一緒にいて当たり前と思っている人ほど、失った

後がとても辛いはずですから」

 新郎新婦がお互い顔を見合す。それを見て修道女が笑った。

「ね、失ったら困る相手が隣に当たり前に居るでしょう」

「そ、そりゃ、そうだ、な。失ったら、困るな」

 男の言葉に照れくさそうに女が笑った。男も照れくさい顔でうつむく。

「欲を捨てろ、持っているものを捨てろと私達は言います。それはそうやって何かを失っ

た後、どれだけ自分にそれが大事なものだったかと思い返すいい機会だとして言っている

のです。それに、不自由が当たり前だとすれば、便利なものを使った時に幸せに感じるで

しょう」

 男がうーんと唸った。女もうーんと唸る。

「小さな幸せすらも敏感に感じ取る為に捨てる。それが、私達の教え…かもしれませんね」

「かもしれませんねって、また。どうして決め付けじゃないのよ」

 冒険者の1人の言葉にクスクスと修道女は笑った。

「いいんですよ。実際に一般の方に説く為の話なんて、私の話には1つも入っていないん

ですから。こう説きなさいと言われる手本があって、それにそって説く方が多いのです。

てを捨てれば楽園に行けるとだけしか説かない方が多いですからね。何故捨てなければ

いけないのか、そこまではきちんと言わない方のほうが多いのです。こういう風に語ると、

伝えたい事が捻じ曲がってしまいそうですから、手本があるのでしょうけれどね」

「ああ、でもそうやって当たり前にある、その場所が楽園だと説きたいのかな?」

 修道女はシィと口を尖らせ、人差し指を立てながら冒険者達に内緒だという仕草をして

みせた。

「それこそ私自身がたどり着いた答えであり、ここの教えの答えとは違うのです。楽園と

はアルタナの神々がいらっしゃる場所ですからね。この教会はその楽園へたどり着こうと

思うのならば、清貧であれと説くのです。ですから、ちょっと違うでしょう。私から教え

てもらったとは言わないで下さいね。一応この格好はそうやって言う人々の手先の1人で

すから。本来なら、寄付としてまずは財産を投げ打っておしまいなさいと言わなければい

けません」

 ドッと冒険者達が笑った。この大聖堂から笑い声が聞こえるとは思わず、ランガー達だ

けではなく、他の信者も驚いていた。

「何この不良修道女。でも貴方が言いたい事はとてもよくわかるよ。同じ教えの言葉でも

うんと違うね。そういう思いで神父の話を聞いたら、また違って聞こえそうだね」

「そうでしょう。刹那を生きる冒険者の方々は私が言うこの言葉の方が喜ばれるのです。

ですから、私はこうやって言っている所存です」

 可笑しそうに女が笑った。修道女も笑う。

「どうせこちらの教会で式をお挙げになるのなら、1つでも“何か違った考え”を持って

帰っていただきたいですからね。今日の私の話を聞いて、ちょっとでも異なる種族の文化

の教えに興味がお沸きになったのなら、後でまた改めて私達の教えを調べてみるのもいい

かもしれません。こういう考えとはまた別の所を説いているとわかりますからね」

 修道女は柔らかく笑った。

 このサンドリア王国で式を挙げるという冒険者の2人も柔らかく笑っている。

「私の中の“宗教”とは、考え方の1つ、という位置づけです。沢山ある考え方の1つで

あり、その考え方1つで日々の風景が変わってくるでしょう。その考え方の1つを私は私

なりに語るだけです。…どうか、お2人にとって、良き1日であり、よき出発の日であり

ますよう、心から願っております」

 教会の修道士の1人が2人を呼びに来た。それを見て新郎が立ち上がる。

「…ここで以前式を挙げた友人に、アンタの話を聞いておきなって言われたんだ。聞かせ

てくれて良かったよ。いい話だった。大事な物ほど目に見えにくいって、ね、言われるか

本当に失わないとわからない事だ」

「それはよかった。…本日、この瞬間からお二方にも楽園の扉が開かれますよう。それで

は、また」

 修道女が立ち上がった。そしてここ独特の礼を行い、修道士に案内されてこの場所を離

れる新郎新婦達を見送る。

「いい話だったねぇ。…どうしたの?」

 タルタル族の女がランガーに声を掛ける。ふと修道女がランガー達の方を見た。

「どうしたの、どうして泣くの?」

 修道女はゆっくりとランガー達に近づき、そっとハンカチを机の上に置く。

「…何か先ほどの私の話に心当たりがあるようですね」

 ランガーが顔を上げた。タルタル族の女も不安そうな顔で修道女を見上げる。

 修道女はやはり、優しい顔をして笑っていた。

「たまにそうやって私の話を聞いて、泣かれる方がみえるのですよ。相手がいるという事

を当たり前に思いすぎて、うっかりとその手を離された過去を持つ方が、ね。…今度はき

ちんと目の前の人の心の声まで耳を傾ける事です。二度と同じ過ちを他の方にしてはなり

ません」

 静かにそう言うと、修道女はハンカチを置いたまま、ゆっくりと部屋の出口に向かって

歩き始めた。

『強くなりたいって言っているけどさぁ、そんなにも強くなってどうするの。1人出て行

くのってつまらないよ。行こうよって言われても、あたしは行かないけどさ。今のままで

いいじゃない』

 ランガーは修道女がまだ自分の彼女だった時の言葉を思い出した。

(あんなにも、置いていかないでって言っていたのに…、俺、置いていったんだよな)

 ランガーはその見覚えのあるハンカチを手に取る。それは自分が彼女にあげた唯一のも

のだった。

 お互い裕福ではないから、こういうものしか贈れなくてごめんと言ったのだ。

 しかし彼女は、私の為に何かを選んでくれた、その気持ちと事実があればそれで十分な

のよと笑ってくれた。それがあれば、貧乏でもやっていけるわとも言っていた。

 ハンカチをあげた時の彼女のそう言って嬉しそうに笑う顔を思い出し、ランガーはまた

涙が止まらなくなった。

 

 

『―――… 全てを捨てなさい。そうすれば貴方の前に楽園の扉が開くのです』

『当たり前のモノほど、身近にありすぎて目に見えないのです。そんな風に身近にありす

ぎて当たり前に思うものほど大事なもので、失った後やっと、あれは大事なものだったの

だと気付くのです』

 

 

 ランガーはそのハンカチを握り締め、小さくごめんと何度もつぶやく。

 ランガーはある日突然大事なものを失った。失ってから見えたものは、うっかりと失く

してしまった、自分にとって1番失くしてはいけないものだった。

 タルタル族の女が顔を曇らせる。ランガーの知り合いも何人か来る。

「…お前、本当にどうしたの。あいつらの事がめでたくないのかよ」

 ランガーの友人が来ても涙は止まらず、彼らの挙式が始まってもそこから動けず、ラン

ガーはしばらくの間声を押し殺して、1人後悔の念に打ちひしがれて、泣いた。







数え切れない人の涙で夜明け前の海は今日も蒼い























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